9才になりました
その日も暑い日だったそうです
僕は兄弟8匹で名取のM中の下の公園に捨てられていた。それを夏休みの部活に来ていたM中の生徒に拾われ、夏休み出勤して部活を指導していたリリータ姉さんにもお声がかかってこの家の子になった。
2002年の暑い日、その中でも僕はへろへろで汚い子猫だった。ちまたでは鈴木宗男さんが新聞紙上をにぎわしており、なぜか僕だけむねおと名前が付いていたそうだ。そのまま・むねお・と命名された。
この場所は僕の好きな場所のひとつだ。
3,11の時もこの場所にしがみついていた。網戸がクッションだったかもしれない。
あの時以来、外には出してもらえない
母ちゃんが台所に立つと大抵僕はここから外を眺める。
ムーン叔母さんは僕の育ての母生まれは7月後半(?)目がやっと開いたばかりですぐ8月になったので生まれた日は分らないのだ。
白とちゃこと僕3匹は家に来た時、真っ先にムーン叔母さんに何回も何回も臭いを嗅がれ、(母ちゃんは噛みつかれるれるんじゃないかとハラハラしたしたそうだ)なんとお尻をなめてオシッコをきれいに始末してくれたそうだ。ムーン叔母さんの母性が開花したみたい!!
母ちゃんは助かったみたいだ。ミルクは母ちゃん、あとは全部ムーンだったから。僕達3匹はでないムーン叔母さんの乳首をさがし、もきもきしながら腹の上で寝た。
途中、白とちゃこに飼い主が見つかり僕だけムーン叔母さんに育てられたのだ。
なんと立派な桃だ
これは福島の桃
毎年夏になると夫の友人からお中元で頂く
夫によると今年は打診があったそうだ
いつもの桃が今年は放射能の影響で送るのを迷っていると。
食べてみたら例年よりも一段とおいしいので送る事にしたと。
そしてこの大玉でずっしりとみずみずしい桃を頂いた。
箱の中には福島の市長からのメッセージチラシが入っていた。・モニタリング調査で国で定めた暫定規制値を下回っています。農家の皆さんを応援して下さい・と。
そして和合亮一さんの・福島で生きる 福島を生きる・という詩もあった。
勿論私達はおいしくいただきました。とてもとてもおいしい桃でした
しかし、小さな子供には食べさせたくはない
本当に、こんなに甘くて、みずみずしくて、おいしい桃なのに、どうしてこんな事になってしまったのでしょう
悲しいです